浜松建築会議を終えて

浜松建築会議の皆様、こんにちは。403のナガタです。お久しぶりです。

浜松建築会議ではお世話になりました。

403は今回の建築会議では東京から参加ということで、浜松という街を幾分客観的に捉えてプロジェクトに参加していたと個人的には思うのですが、振り返って思うのは、浜松という都市のもつ輪郭と規模がこの面的な盛り上がりを可能にしたのだろうということです。

最初に浜松に訪れた時、個人的にはここは輪郭が見える都市であるという印象を持ったのですが、東京にずっと住んでいる自分からすればそれはなかなか不思議な感覚で、自分の地元をイメージしてみると実際どこまでを地元と認識出来るのかかなり曖昧なところがあります。その点で浜松という都市は街の構造や規模を含めなかなかイメージしやすいというのが初見の印象でした。平たく言ってしまえばつまり街に輪郭があるということだと思うのですが、輪郭があるということは明確に対象化できるという事で、対象が明確であるということは運動の方向性を定め易いということでもあると思います。商店街から行政、学生から建築家まで皆が「浜松の中心をなんとかしたい」とそもそも思えたことが、今思えばこの街において最大のポテンシャルだったのではないでしょうか。

また浜松が「自らの手を加える余地がある」と期待できる規模の都市であることも重要であったと感じます。把握出来る規模の街というか、自分の生活と街が直結し、主体的に街の問題にコミットできる土壌が残っている都市であるという印象です。事実、ゆりの木商店街の鈴木さんの案内のもと市内を巡ったときにも、多くの方々の街に対する熱い思いを耳にすることが出来ました。

そしてこの街の輪郭と規模は人のつながりという一番の価値をもたらしていると感じます。今回のプロジェクトを可能にしたのは人のつながりが最大限に機能していった結果と言えると思います。最初の403の静文芸へのコンタクトは、突然大学に押し掛けるという半ば強引なやり方ではありましたが、その後の多くの人とのつながりの早さと実現可能性の広がりの早さには感動すら覚えました。

様々な主体が共通する意識のもと、明確な方向性を持って走れた事、そして街の中に潜む数々の熱い思いの存在を表面化し繋いで行くことで面的な盛り上がりを構築していった事が今回のプロジェクトの一つの成果として上げられるのではないでしょうか。そうして繋げられたネットワークは良い意味で不可逆的であり、イベントの前後で明確に変化をもたらしたものになっていると感じています。

シンポジウムでも話に上がりましたが、今後はこのプロジェクトをどのように継続させていくかに焦点がいくと思います。1回目と2回目以降でプロジェクトが意識すべき点というのは明確に変わってくるので、第1回で構築することが出来た面的な盛り上がりをどう活かしていくかが今後の課題となるでしょう。シンポジウムで指摘を頂いたように私たちが取り組むべき市街地への本質的な問題に対しても目を向け、よりよい形で第2回建築会議へと繋げて行けたらと思います。そのためにも今後は「敷居を下げる」ことが鍵となる気がします。それはつまりより多くの主体が参加可能なプロジェクトにしていくという意味で、また浜松という都市の抱える問題に自らの手元からコミットが可能であるという意識を育てていくという意味においてです。

浜松建築会議という場を継続的かつ定期的に設け、より多くの主体にとってコミット可能な状況を作っていく、そしてその都度そこに関わっていき、その時の状況に応じて柔軟な姿勢で運営していく。そうして反応していく事を継続的に行っていくということで社会に接続する面が増え、また新たに反応可能な事象も増えていくと思います。継続性、周期性はそれだけで敷居を下げて行く働きがあると考えていますのでトートロジカルではありますが継続してやっていくことが継続可能性を高めると言えると思います。

浜松の明確な中心性と規模が、同じように明確な中心性と規模をもつ地方都市にとって汎用性のある事例の先駆けとなる事を期待しつつ、今後も継続的に関わって行けたらと思っています。

最後になりましたが、suac403のメンバー、関係者の皆様、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします!!

403architecture 永田賢一郎