みんなのにわを振り返って

「浜松建築会議」並びに「みんなのにわ/represent_garden」関係者の皆様、おつかれさまでした。403のタドコロです。


今回は浜松でのプロジェクトということで、403の東京組は現場でリサーチに参加したり、実際の制作に加わったりすることはなかなかできませんでした。では何をやったかというと、ワークショップのコンセプトを示したり、タイトルを決めたり、リサーチの枠組みをつくったり、リサーチをまとめたり、木曜のkenkenに顔を出したり、日曜にエスキスしたり、ブログでコメントしたり、スカイプでの議論をフィードバックしたりと、どちらかというとメタなかたちでの参加の仕方でありました。


今回のプロジェクトでいちばん印象的だったのは、日を追うごとに静文芸のみんながどんどん“いきいきと”していったことです。


浜松でなんかやろうということになり、勝手に企画書つくって勝手に静文芸に乗り込んで勝手にプレゼンして勝手に飲み会して勝手にエスキスするという403の様々な勝手を、はじめは訝りながらも面白がり、最後まで真剣に付き合ってくれた静文芸のみんなには心の底から感謝アンド尊敬です。というか、最終的にはみんな、自分たちのプロジェクトとしてこのプロジェクトに取り組んでくれていたのではないでしょうか。


403と静文芸の学生の、そのどちらがいなくても今回のプロジェクトは成立しなかっただろうということは、とても大事なことのような気がしています。それはつまり、活動においてはその参加主体は交換不可能であるということですが、各個人が交換不可能な主体としてプロジェクトに取り組むということが自然にできていたという事実は、非常に価値のあることだと思います。


さて、浜松建築会議第三部の議論でも話題にあがった「メディア的な振る舞い」ということについてですが、僕個人としては今回の403の立ち位置こそ、まさにメディア(媒体)的な振る舞いだったのではないか、と思っています。


メディアというのは新建築や10+1などのジャーナリズム(批評空間)だけではなく、人と人、人と情報、人とモノなど、人と何かを結びつけるものは全てメディアと呼べると思います。あるものがメディアであるかどうかは、それが人と何かを結びつけたときにはじめて、事後的にわかるものです。今回のプロジェクトでは、もともとはつながっていなかった浜松の空き室と静文芸の学生とコラボ相手とが、「みんなのにわ」というかたちで結びつきました。これは403がメディアとして、それら様々な主体を結びつける役割を果たしたことの帰結であろうと思います。


自分たちがメディア(媒体)として人々を結びつける活動を草の根的に(ベタに)続け、それが事後的に批評される(メタ化される)ということの方に、403としては可能性を感じています。その方が、物事の本質に触れることができる、あるいは、物事に新たな意味を与えることができるのではないか、と思うからです。


今回の「物事」とは「浜松の中心市街地の現在をあぶり出し、その現状に反応し、その中で何かを実現すること」でした。それは結果的に、浜松の中心市街地の衰退という問題を解決することにつながるかもしれませんし、つながらないかもしれません。しかし、いろいろな立場の人を巻き込みながら、各個人が各個人として共通の物事に取り組み、ある成果を生み出すという一連の活動によって、中心市街地の4つの空き室に「みんなのにわ」という新たな意味が与えられた、という「事実」が、もっとも大事なことのような気がしています。


とはいえ、地方都市にまつわる本質的な議論を続けるなかで、中心市街地の衰退の背景にある「構造的な問題」に、403としてコミットしていきたいとも思っています。それにはまだまだ無知すぎるので、さらなるインプットを重ねていく必要が、あると思います。


しかしながら、本当にゼロのゼロから始めて3ヶ月、結果として、商店街の協力、市からの補助金や新聞各紙の取材、議員さんからの支援、さらには辻への出馬要請まで(!!)、思ってもいなかった様々な出会いが「事後的に」やってきたという事実、そのプロセスのひとつひとつが本当に貴重な体験でしたし、403の活動としても大きな転機になるプロジェクトになったのではないかと思います。


このプロジェクトのおかげで生まれた様々な出会いを糧に、これからも403はまたどこかで、そこにしかない現在に潜り込み、そこでしか生まれない反応を繰り返す中で、そこでしか生まれない何かを実現するというプロセスを繰り返し、勝手に色々とやっていくのだろうと思います。無知な点、至らない点も多々ありますが、あたたかく見守ってやってくださると幸いです。


最後になりましたが、「みんなのにわ」に参加してくれたSUAC403のメンバー、竹山、ありがとう。そして「みんなのにわ」を支えてくれたすべての人たち、ありがとうございました。今後19年間のお付き合いになりますが、よろしくお願いします。それではまた!!!!

403architecture 田所雄大